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大三島の紹介

 

私たちが住んでいる大三島は、愛媛県今治市にある芸予諸島の中の一つで愛媛県の最北に位置しており、大山衹神社がある「神の島」として知られています。大山衹神社は、約2600年前、神武天皇東征に先駆けて、祭神大山積大神(おおやまづみのおおかみ)の子孫小千命(おちのみこと)が四国に渡り、瀬戸内海の治安を司っていたとき、芸予諸島の要衝である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられています。
以来、神の鎮まる神聖な島「御島(みしま)」と呼ばれ、本州、四国、九州を鎮守する日本総鎮守の神として崇拝されてきました。現在の大三島の呼称はこの御島から起こった伝えられています。
また、源頼朝や義経の鎧をはじめ国宝8件、国の重要文化財75件(2008年現在)を有し、「国宝の島」としても知られています。

大山祇神社

山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめ、現在でも海上自衛隊、海上保安庁の幹部などが参拝している。

この地に鎮座した由来として、大山祇神の子孫の乎千命(おちのみこと)がこの地に築いたとする説、伊豆国の三嶋大社(現、静岡県三島市)から分霊を招いたとする説、朝鮮半島から渡来した神であるとする説など諸説があるが、摂津国の三島江(現、大阪府高槻市)からこの地に移されたとするのが一般的である。いずれにしても、かなり古い時代から存在した神社であることは確かで、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。 (ウィキペディア より